グレンラガン 紅蓮編、崖の上のポニョ

気負いすぎて一人で突撃しました・・・。映画館でグレンラガンとかもう素晴らしすぎて充実感が毛穴から飛び出しそうでした。大きい画面で見るグレンラガンは超かっこよかった。新しいセリフやシーンも加わってて、テレビシリーズで見た人も楽しめるんじゃないかなあと思います。何かグッズが買いたい!と思って物販のぞいたらヨーコのおっぱいマウスパットしか残ってなくていろんな意味で泣いた。4月の螺巌篇も見に行くよ!

新宿ピカデリーで!と思ったらすでに空席なし・・・。さすが新しい映画館・・・と思って歌舞伎町の方へ。少しはじまってしまっていたけれど、これを逃したらもう公開終わっちゃう!と思って入館。ポニョは予想以上に良かった!あんなかっけー5歳児いないよ!とか思ったけれど、ポニョが波の魚の上を走るところとかポニョお母さんの登場シーンとかいちいちポワポワしてしまったので、まだ駿マジックにかかれることがわかって少し嬉しい。色が鮮やかでくるくると景色が変わって、目に飛び込んでくるのが楽しかった。エンディングでは子どもたちが大合唱してて超和んだよ・・・。

揚げ物

揚げ物が大好物すぎて油にまみれながら結構な頻度で揚げ物ってるよ!!衣は天ぷら粉でも薄力粉でも片栗粉でもいけるよ!油の温度がぐいぐいあがって、鍋の底をトントン叩く音も好きだし、いい色になった食い物たちを「はい次ーはい次ーはい次ー」て引き上げてく作業も好きすぎる。気合入れたいときとかによく揚げてる。後片付けが死ぬほど億劫だけど、その作業のことを差し引いても揚げたての何かは天才だなといつも思う!ジーク揚物!!

 
コロッケは俵型なんだけど、売ってるのは大概平型だよね・・・。形が違うのって地域性あんのかなー。

天気が良かった

2月中旬なのに春気候だったので、春になったらおろそうと思ってたうっすいコートをおろして、2つ隣の駅の公園に行ってきました一人で。一人キメこんできた。陽射しも強くて本当にあったかかった!!「休日+好天」ていう条件だけで得したような気になる!相変わらずにぎやかな公園で、バイオリンもびょんびょん鳴ってるし、ハーモニカもぱっぱか鳴ってるし、犬が塀の上でぷるぷるしてるし、平和だなーいい天気だなーカップルは弧を描いてお星様になればいいのにーっていう心持で練り歩いてきたよ!!!


なんかね、ちょっと強迫入ってるくらいに天気に気分が左右されやすいよ!休みの日に天気がいいと「超天気ハァハァ外出だ外出だ!!」てなるし、雨の日だと「もうこの世の終わりだ一日家に篭るしかない濡れるのヤダヤダ寒いのヤダヤダ!!」てなるのでもう本当太陽がんばれ超がんばれって思ってるよ。いや、雨が嫌いなわけじゃ・・・ないんだ・・・わかるだろ・・・?お前のクールな体温も・・・必要だってこと・・・。COOOOOOOOOOOOOOOL!!!!!いやもう突き詰めると濡れるという事だけが嫌なので早いとこ超能力を身につけて体の回りに空気の膜がはれるようになりたいです!!!やべえ!!この発想天才すぎる!!!!

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聖でもハッピーでもなく久しぶりに乗ったチャリンコで前方にいたカップルを追いこそうとマッハでゴリゴリこいだら尻が痛くなったバレンタインを過ごしたりもしました。いよいよ、さすがに、バレンタイン!ムハーバレンタイン!つって興奮することもなくなりましたけど、学生んときは本当に学校全体がソワソワモジモジしてて面白かったので、ぜひ今後も学生たちには全力で聖でハッピーなバレンタインを過ごしていただきたい。
中三のときにあげたチョコが初めてであり、学生時代に人にあげたのはそれっきりだったのだけど、あんときは緊張しすぎて卒倒しそうだった。「あいつ・・・受け取ってくれるかな・・・(トクントクン)」どころじゃなく「やべえマジ死ぬ心臓早すぎて死ぬ緊張しすぎて気持ち悪くなってきたもう帰りたい帰っていいですかそうですか死ぬ死ぬ死ぬわー」てなってたので人生漫画のようにうまくはいきませんね。チョコ渡すときは要酸素ボンベ。成就とか何それ。バレンタインでハッピーとか都市伝説だろ。
「なあなあ、今日何の日か知ってる?」「もうそんなにチョコ貰ってるんだから十分でしょ!」「・・・ちぇ、お前からじゃなきゃ意味ないのに・・・」「え・・・?」とかさ!!!「はい、これ!」「え!!俺にくれるの!?」「誰からももらってないんじゃかわいそうだもん」「何だ・・・義理かよ・・・でもお前からもらえるなら義理でも嬉しいや」「え・・・?」とかさ!!!!!ああああああああちくしょういいいいいなああああ!!楽しそうじゃねえか!!!!意味わかんないわ何その楽しそうなイベント。駄目だ。無理だ。楽しそうすぎた。ハッピーエアバレンタインは楽しいなあ!

おかんの誕生日だった

仕事行く電車の中でふと今日が母親の誕生日だったことに気づいたよ。1月21日で覚えやすい。覚えやすいが実は歳があやふやだ。確か27ん時に私が産まれたはずで、私が27だから54か。おかんが自分の歳のときに自分がこの世にすぽーんと産まれてきたのだと思うと軽く戦慄する・・・。
怖いことがある。夏と冬に実家に帰るのだけど、帰るたびに母親が小さくなってしまっている。同じくらいの身長だったはずなのに、いつの間にか目線が合わなくなってしまっているなぁと気づいたときにとても絞られるような気持ちになってしまった。「母親がいつかいなくなる」というどうしようもない事実に目を向けることがとても怖い。逃げたいなぁって思う。だって産まれたときからいたのだからいるのだと思ってた。この間実家に帰ったときに「何もあげてなかったから」と小さいアルバムを貰った。1枚目に小さい頃の私の写真と「どこに行くにもいっしょだった小さな子が、いつの間にか独りで歩き、自分の好きな世界をひとつずつ見つけてゆきます。そういう風に育つことを願っていたので、嬉しいです」と書いてあったのでボロンボロンになってしまった。いなくならんで、と思うけど、私は大きくなってしまっている。いやだなあ、もう、本当にまるっと遠い届かないとこに投げ飛ばしたい。
「風邪治った?」とメールをしたら「だいぶ良くなったよ。あんたは引いてない?大丈夫?」ときたのでまたボロンボロンに。危険レベルすぎる。家は誕生日を祝う習慣がなかったからおかんは誕生日を忘れてそうだ。おめでとう。もういい歳なんだから「床の硬さがちょうどいい」つって床の上で寝るのはやめたほうがいいと思うよ。

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2009年最初の写真

ここ数年は決まってお節の写真を撮ってます。そもそもあまり「お節が好き」というのは聞いたことがなく、私も小さい頃は伊達巻と栗きんとん以外はどうでも良いイベントだったんですけど、歳をとるごに「お節だ、正月にはお節を食わなくては落ち着かない」と思うまでには変身を遂げました。でもよくよく考えたらコハダの酢〆やら黒豆やら数の子には相変わらず手が伸びないので案外と変身をしていないのかもしれない。しかしお重に艶やかに滅多に食べない料理が並んでいるとやっぱり正月だなぁという気分は急上昇となり、母親の作る煮しめはやっぱりうめえとも思うし、普段飲まないお酒を飲んでテロテロになりながら弟に「お前の眉毛は濃すぎる」とお姉ちゃんぶったり、華やかな感じだなぁこれから年が始まるんだなぁとかぼんやり思いながら過ごすのはとても楽しい。母親は毎年「もうお節作らんでいい?」て呟いてるんですけど、「そこを何とか」と揉み手をしながら食ってます。もういい年ですが相変わらず栗きんとんは私のアイドルです。
  
煮しめのこんにゃくはいつもクルンって三つ編みみたいになってる。