おかんの誕生日だった

仕事行く電車の中でふと今日が母親の誕生日だったことに気づいたよ。1月21日で覚えやすい。覚えやすいが実は歳があやふやだ。確か27ん時に私が産まれたはずで、私が27だから54か。おかんが自分の歳のときに自分がこの世にすぽーんと産まれてきたのだと思うと軽く戦慄する・・・。
怖いことがある。夏と冬に実家に帰るのだけど、帰るたびに母親が小さくなってしまっている。同じくらいの身長だったはずなのに、いつの間にか目線が合わなくなってしまっているなぁと気づいたときにとても絞られるような気持ちになってしまった。「母親がいつかいなくなる」というどうしようもない事実に目を向けることがとても怖い。逃げたいなぁって思う。だって産まれたときからいたのだからいるのだと思ってた。この間実家に帰ったときに「何もあげてなかったから」と小さいアルバムを貰った。1枚目に小さい頃の私の写真と「どこに行くにもいっしょだった小さな子が、いつの間にか独りで歩き、自分の好きな世界をひとつずつ見つけてゆきます。そういう風に育つことを願っていたので、嬉しいです」と書いてあったのでボロンボロンになってしまった。いなくならんで、と思うけど、私は大きくなってしまっている。いやだなあ、もう、本当にまるっと遠い届かないとこに投げ飛ばしたい。
「風邪治った?」とメールをしたら「だいぶ良くなったよ。あんたは引いてない?大丈夫?」ときたのでまたボロンボロンに。危険レベルすぎる。家は誕生日を祝う習慣がなかったからおかんは誕生日を忘れてそうだ。おめでとう。もういい歳なんだから「床の硬さがちょうどいい」つって床の上で寝るのはやめたほうがいいと思うよ。